「十九歳の地図」が40年前の作品であろうと、そのままの日本が今も続いている。政治が国民に何をしたというのか?
芥川賞受賞の文豪、中上健次の同名小説を
映画化しようと試みた監督が何人も途中で
放り出したと言われる「十九歳の地図」。
「さらば愛しき大地」などを手掛けた柳町光男監督が、ようやく映画化にこぎつけた。
この原作の持つ"毒性"の強さが、キャスティン
グを狭めてしまう。と映画を観てまず思った。
公開は1979年。
約40年前の映画ではあるが、十九歳の若者、
東京も下町、新聞配達という仕事、いろいろな群像が東京の下町で生活し、決して幸せでもなく不幸でもなく、それなりに生きている。そんな彼ら(群像)に新聞が何の役に立つのか(?)まるで理解出来ない。
地方から上京してきた19歳の主人公。
吉岡まさるは、新聞配達をしながら予備校に通う。
毎日300軒以上も配達する単調であるが、
決してやり甲斐がない。
集金に行けば、金を払う人の顔は様々。
それでも新聞をやめない。
なんたる、この東京の下町のまとまりのない群像集団の生活感や価値観。そこには国家と国民という絆などありゃしない。
19歳の少年は、そんな不条理が
"許せない"
"いたたまれない"。
一体、何なんだよ!
この東京という大都会の中に住む、個人主義、利己主義に色染まった貧しき人々は。
皆、故郷にいづらくなって東京に来たのか?
将来の為に東京にやってきた19歳の少年にとって、新聞配達は生活の手段ではあったが、次第に、そこに住む嫌いな人間の固まりに対して、ムカついてくる。
電話で嫌ごとを言ってウサを晴らす。
配達する地域の地図を描き、名前まで書き込んで嫌な奴には×をつけていく。
×が2つ3つ付く家もある。
知れば知るほど憎しみが増してくる。
人間嫌いにもなってくる。
新聞配達という仕事、行為から見えてくる落ちこぼれた人々。
何が平和な日本だ!
19歳の少年は、ただただ積もり積もるのは「鬱積」という不満。
40年前の作品であるが、今の日本も決して変わってはいない。
新聞配達という仕事は尻つぼみになったが、新聞の果たす役割とは?
「鬱積」したもののはけ口が犯罪となり、いじめとなり差別となり、つまり政治なんぞは社会の下層部の人たちに、なんの救いも恵みも与えもしないし。
40年前の下町で暮らす人々に進化、向上、生き甲斐、…こんなものは少しも変ってはいない。
『十九歳の地図』
監督・脚本/柳町光男
原作/中上健次
出演/本間優二、蟹江敬三、沖山秀子/他
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