ドヴォル・ザークの弦楽セレナード 第4楽章を聴いて、「ため息が出るほど」感動するのか?さて、あなたは?

クラシックのメロディーの美しさを、
「ため息の出るど美しい旋律である」などと評論家が書き上げていることがある。

「ため息の出るほど美しい~」この表現ができることをとても羨ましく思うことがある。 
音楽に限らず、美しい女性、美しい風景、美味しい料理、美しき恋、美味しいワイン。

どれをどう考えてみても、
「ため息の出るほど」の感動をしたことがない僕は、不感動なのか、持って生まれてドン感なのか、あるいは下流な人種なのか。
誰か教えて欲しいと思うくらいに、「ため息」が出ないで困っている。

本当に「ため息が出るほど」、感動する人がいるのだろうか?それさえ僕にとっては疑わしいことなのだから、「ため息が出るほど美しい~」体験をしていない僕は、やはり感受性に乏しいペーパーバック・ライターなのだろう。

「涙が出てくるほど感動する、した」、そんな経験はある。
映画を観て、懐かしい音楽を聴いて過去が蘇ってくる。これがある。どちらかと言えば、涙もろい方だから、感動しやすいのだろう。
ところが、「ため息の出るほど~」と、「涙が知らずにあふれてきた」は違う世界の感動なのだろうか?

"涙”と”ため息”の差が、芸術家でない僕を象徴しているのかもしれない。

ドヴォル・ザークの弦楽セレナードホ長調作品22の第4楽章は、「ため息が出るほど美しい」と言われる。
確かに美しい、が、僕はため息が出なかった。
チャイコフスキー&ドヴォルザーク「弦楽セレナード」デイヴィス指揮。バイエルン放送交響楽団名演です。

Oimachi Act./おい街アクト

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