「愛に関する短いフィルム」にみる男と女

男と女の出逢いは自然的なほうがいいのに決まっている。
不自然だというのは、ネットを用いた出会い系を指す。合コンの出逢いも不自然だと言える。

ガールズ・バーにいる女の子に入れあげるのは、今の時代では不自然。
このたぐいで遊郭で男がそこで働く女に本気で求愛をしているという昔の話が伝えられるので、江戸時代には自然的であったのかもしれない。

ただこの時代は結婚する相手を求めていたという、なんとまあポジティブな世界があったと紹介されているので、こちらもポジティブに受け留めるわけだが。

ガールズ・バーなんて、どこまで男性客に金を落とさせるかが基本的なツールになっている訳で、たいがいの場合は、そこで働く女の子にちゃんと、彼氏が別にいたりすることが多いので、ウソがはびこった世界として、不自然である、と結論付ける。

自然な社会というのは、危険でない場所で男と女に声をかける。例えば街中で、カフェで客に声をかける。(男からでも、女からでもこれは良いわけだ)
通学電車、バスの停留所で声をかける通学中に、駅で声をかける。
会社でも、取り引き先の男や女に声をかける。
これらは昔は常識的な出会い方であり、ストーカー呼ばれする筋合いのものではなかった。

男性に声をかける男も女も一定の"わきまえ"
を持っており、しつこくない、あっさりしている。
根に持たない"それなり"にルールらしいものが
存在していた。
近所でたまにすれ違う異性になんとなく心ひかれたりはちっともオカシいことではなかった。

つまり男女の出逢いは、住む町、遊びに出た街、違う学校で、通学路、通勤時にあるもので、そこで知り合うから、相手のことがなんとなくだが、分かったような気に話す前からなっている。

この気の通じる関係が成り立って、出会いもある。

つまり出会いとは、気が通じる関係が成り立っている男女にしか起こらない、とも言えるのだ。

今どきの出会い系ではない、その気の通じる関係でないのに出逢うことをするから、不自然でオカシくないノーマルではないのだ。

キェシロフスキ監督の「愛に関する短いフィルム」は、出逢いがアナログ的であり、気と気が通じる関係があるからこそ、恋愛に発展していこうとする。

アパートの一室から向かいのアパート一室を、女と男がのぞいて見ることが、その女性に関心をいだくのでは、発展性としても、それは女と男は見るものだ。

2人の気が通じているから、相手のことがなん
となくわかる。
だから実は孤独とは言えないのかもしれない。
孤独な女性と無知な若い男性との追いつ追われつなのが恋愛として成り立つ。
恋愛とはそういう素朴さなくしては成り立たない。
追われて解かる。
追うと好かれる。
追いつ追われつ、そんなことを心配すると恋愛なんて進展しない、という哲学をも含んだのが、この映画である。


「愛に関する短いフィルム」
監督/クシシュトフ・キュシロフスキ
出演/グラジナ・シャポウォフスカ、
オラフ・ルバシェンコ

Oimachi Act./おい街アクト

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