フランク・シナトラの娘が、ナンシー・シナトラ。それだけで個性
アメリカのショービジネス界の大ボス、フランク・シナトラを父に持った娘がナンシー・シナトラ。
彼女は子供の頃からピアノ、ダンス、歌のレッスンと、恵まれた環境でスターの座を目指す女の子として成長していた。
1960年に父親、シナトラがリプリーズ・レコードを設立する。
ここでナンシー・シナトラも61年に「カウス・ボタンとネクタイ・ピン」でデビューする。
ショービジネス界の父の元、アイドル歌手として。
無論のこと。
が、これが不発。
続いて第2弾シングル「レモンのキッス」を62年に。
これはイタリア、日本でヒット。
本国のアメリカでは結局不発。
プロデューサーが変わり、1965年にようやく全米TOP100の86位まで上昇したのが「ソー・ロング・ベイビー」。
そしてミニスカートにレザー・ブーツというファッションで、しかも歌い方は地声で、聞き手を挑発するような歌うスタイルがウケて、全米ナンバー・ワンになったのが「にくい貴方」。
原題は、「このブーツは歩くために作られたものなの」という「These Boots Are Made For Walkin’」。
こうしてナンシー・シナトラはスターダムへ一躍のし上がった。
その後もヒット曲を飛ばし、映画「007」のテーマ曲「007は二度死ぬ」は全英で8位と全米は44位のスマッシュ・ヒット。
これは父、シナトラの"力"が効いているようだが。
60年代に活躍したナンシー・シナトラは、やはり70年代になると、ラスベガスのショーなどに出演するエンターテイメント系のスターとして生きていったと思われる。
65年前後のアメリカのヒット・チャートは実に個性的なシンガーやグループが活躍した。
ナンシー・シナトラもその一人だった。
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