やりたい放題 レコード会社の宣伝部

日本におけるポップスやロックにしろ、いわゆるミュージック・シーンというものは、どんなに大物ミュージシャン、またタレント的なミュージシャンがどうした、こうしたと騒いだところで、"井の中の蛙"的でしかない。

残念ながら、日本のエンターテイメントの世界は日本的でしかなく、世界に通用するものではない。

だから日本らしい話がある、ある。
映画にしろ音楽にしろ、昭和の戦後時代のパワーが、今の世代に受け継がれていない寂しさが肌にしみる令和の時代。

さて、日本におけるポップスの昔話を記していると、ブッたまげる話より、笑えるような話の方が沢山残されていることに苦笑してしまう。

以前紹介したナンシー・シナトラが下積みの時代に出したシングル盤が、今振り返ると面白いタイトル。
「イチゴの片想い」があったし、「リンゴのためいき」もあった。そして「レモンのキッス」。

この曲はアメリカではヒットしていない。
日本のみ、かろうじてヒット。
作者がエルビス・プレスリーにも曲を提供しているディック・マニングで、出来の良いセンチメンタルなポップス。

父、シナトラの"力"はさすが凄い。何はともあれ、ナンシー・シナトラはメジャーになったのだから。

で、この曲は原題は「ライク・アイ・ドゥー」(Like I Do)。

果物とは何の関連もない。
ナンシー・シナトラを売り出そうとした日本の担当者は"果物"好きだったのか。
まるで芸者さんの世界のような呼び名だ。
デル・シャノンは「街角」シリーズで売り出した。

「悲しき街角」はビルボード1位。
これは彼の自作の曲。
「花咲く街角」は全米5位。
「さらば街角」は全米28位。
「街角のプレイ・ガール」は全米12位。
「恋する街角」もあった!

「さすらいの街角」は全米30位。
「涙の街角」は「ショウ・ミー」のB面だが、日本ではこれがA面として発売された。
そして「悲しき街角’67」と。
いや、スゴい~。

そしてジョン・レイトン。
イギリス出身の歌手であり俳優。
映画「大脱走」に出演したのは有名。
「霧の中のジョニー」が大ヒットした。
そして「霧の中のロンリー・シティ」。
ジョン・レイトンはその後、俳優としての活動をしていく。

とにもかく、邦題と原題の関連性はナシ。
担当者のセンスと、英語のわからないリスナーが多かったから(?)、こうしたとしか言いようがない。

Oimachi Act./おい街アクト

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