「神のみぞ知る」が生まれた。それは1966年
音楽、特にロック、ジャズが単なる娯楽から文化へと価値観を高めることになったのは、ケネディ大統領暗殺事件後、アメリカが本格的にベトナム戦争へ介入し、「北爆」を激しく始めたことにより「反戦」の意思をミュージシャンが掲げることになったことが最大の要因であろう。
1965年の、古い話であるが…。
まだアイドル的なグループであったビートルズのジョン・レノンが、アメリカ公演中にタブーを破って「反戦」の意思を明らかにした。
このジョン・レノンに勇気づけられたミュージシャン達。
67年6月には"愛と平和の祭典"「モンタレー・ポップ・フェスティバル」が開催された。
このコンサートが機になり、ジミ・ヘンドリックス、ジャニス・ジョプリン、ジェファーソン・エアプレーンらが、そしてオーティス・レディングも評価を得る。
同時にサンフランシスコではこの時、「フラワー・ムーヴメント」が盛り上がりを最高に見せる。
イギリスでは6月25日に全世界初のテレビ同時放送番組「アワー・ワールド」で、ビートルズがアビイロード・スタジオからレコーディング風景を公開し、この日集まったのがミック・ジャガー、キース・リチャーズ、キース・ムーン、エリック・クラプトン、グラハム・ナッシュ達。
そしてビートルズの「愛こそすべて」が全員で歌われ、これが全世界に流れた。
こんな話も昔話になってしまい、ロックは娯楽としてこじんまりとしているのが、今の時代。
ビートルズの影響を受けたミュージシャンは当時、多かったが、ビーチ・ボーイズのブライアン・ウィルソンもその1人だ。
サーファー・ロックから脱却し、今では「名盤」と称される「ペット・サウンズ」を発表したのだ。
ビートルズの「ラバー・ソウル」に負けないアルバム制作にブライアン・ウィルソンが中心となり、とりかかった。
優れたスタジオ・ミュージシャンを起用し、スタジオ・ワークを駆使した綿密で斬新なサウンドを収めた。
「神のみぞ知る」「素敵じゃないか」はアルバムの目玉。
このアルバムを聴いたビートルズが「サージャント・ペッパーズ~」を制作するに至ったのは、有名な話。
以降、ビーチ・ボーイズ、そしてブライアン・ウィルソンは超一流のミュージシャンへとグレード・アップすることになった。
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