エンターテイメント性に優れていたジミー・ペイジ

ジミー・ペイジ、クラプトン、ジェフ・ベックが在籍したブルース・バンド、ヤードバーズが解散した時、ジミー・ペイジは
「もう、やるべきことをすべてやり尽くした」といったコメントを残した。
 
その後、クラプトンはクリームで
ニュー・ロックへ進むが、ギタリストからヴォーカリストへと脱却していった。
ジェフ・ベックはこの3人の中では
ギター・テクニックがずば抜けていたと言われ、フュージョンの世界に入っていく。
そしてジミー・ペイジはヴォーカリストでもなく、ギタリストでもなく、演出家としての脱却を図ることになった。

それがレッド・ツェッペリンだ。
 
当時としては真新しさに驚いた。
この驚きとは珍しさでもあり、変わった曲の
構成に不慣れだったせいもある。
が"ウマい"と思わせるジミー・ペイジのエンジニアとしての企画力の成功でもあった。
 
ヤード・バーズのヴォーカリストの
キース・レルフにかなりジミー・ペイジが不満を持っていたらしく、新しいグループでは結局、ロバート・プラントをヴォーカリストとして採用する。
 
レッド・ツェッペリンが注目されたのは、
工夫されたリズムとヴォーカル、
凝った曲の構成、そして録音技術を駆使したことが、新鮮で未来的なROCKを予知させる説得力になった点だ。
 
このレッド・ツェッペリンでジミー・ペイジはヤード・バーズ時代には不可能であったバンドとしての個性、色、音を創り上げることが出来た。
が、この進歩もやがて目新しさが薄れ、今の時代にはインパクトを与えることが出来ない。
 
結局はROCKも原点に帰っていくしかないのだ。
 
レッド・ツェッペリンも時代が作り出した
ROCKにでしかなかった。
それは余りにも奇をてらいすぎた故の敗北でもある。

やはり代表曲は
「胸いっぱいの愛を」
「移民の歌」
「天国への階段」だ。

Oimachi Act./おい街アクト

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