聴く人が聴いたら解かるジョニー・ソマーズの実力
日本では「ワン・ボーイ」と「すてきなメモリー」でシンガーとして知られることになったジョニー・ソマーズ嬢。
歌唱力があるとか、ないとかは、当時のヒットパレード番組の司会役は一言も話すことがなかった。
そんなこともあって、このジョニー・ソマーズが実力のあるシンガーという評価もなく、時代は過ぎていった。
ジョニー・ソマーズが歌ったジャズのCDが今、復刻版として出ているのを、どの位の人が気付いているのやら。
そう、ジョニー・ソマーズは18歳でシンガーとして活動を始めた。
若い故に「ワン・ボーイ」を歌うことになった。
これが全米のヒット100にチャート入りする。
本国ではジャズ・クラブでの活動が活発であったが、なにせ若い。
レコード会社としては、ジャズで売るよりポップスで売ることを考えたようで、「内気なジョニー」が1962年5月に発表され、全米7位に輝く、ジョニー・ソマーズが
22歳の時だ。
この「内気なジョニー」のイントロはちょっとした語り草になったほど。
ウッド・ベース、ギター、ドラムス、ホーン、ピアノが順番に入って絡んでいく。
これはアメリカン・ポップス史上に残る
名イントロだと。
バート・バカラックの共作パートナーの
ハル・デイビッドと、「シー・ユー・イン・セプテンバー」の作者として知られるシャーマン・エドワーズのコンビによる作品。
こうしてジョニー・ソマーズは日本でも大人の一流シンガーの仲間入りを果たす。
日本ではポップスしか売れない時代。
本人の意向に反する「すてきなメモリー」が63年に発売され64年初頭に大ヒット。
本国では「過ぎし思い出」のB面。
これをカップリングであったとレコード会社は言いたげだが、A面にして出し直しての
大ヒットであろう。
65年10月には日本語で売り気満々。
ジョニー・ソマーズが日本語で歌った「すてきなメモリー」まで出してきた。
そう、この時代はコニー・フランシスが
日本語でアメリカン・ポップスを歌い、稼ぎまくっていた時代。気持ちは分かるが…。
この曲を日本語詞に作ったのはあの安井かずみ。
その後は映画「ブリット」(68年・米作品)の
テーマ曲を歌うなどをするも、時代の流れは変わってしまっていて日本ではヒットせず。
こうしてジョニー・ソマーズはポップスの
世界から解放された。
ジョニー・ソマーズが本来の実力派のシンガーとして認められていたのは、なんと1959年。
アート・ペッパーも参加したアルバム「ポジティヴリー・ザ・モスト」を録音している。
61年には「フォー・ゾーズ・フー・シンク・ヤング」もワーナーレーベルからライヴとのカップリングで出している。
どちらもスタンダード・ナンバーが並ぶ。
ジョニー・ソマーズへの評価の低さは、日本のラジオ番組の犯した"罪"だ。
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