昭和35年。戦後15年の日本のカルチャーかな!?
1960年。昭和35年だ。
前年の59年に仏・伊合作映画のアラン・ドロン主演の「太陽がいっぱい」が公開された。
イタリアのピエトロ・ジェルミが「鉄道員」に次いで発表した映画「刑事」も59年に公開。
アメリカ映画ではジャズメンを描いた「五つの銅貨」でダニー・ケイとルイ・アームストロングが熱演。同じくアメリカ映画で核戦争の恐怖を綴った「渚にて」も59年に公開。
60年になるとエルビス・プレスリーの主演映画「G・I・ブルース」が公開。
テレビは59年が創世期。
「バット・マスターソン」「ガンスモーク」
「拳銃無宿」「ローハイド」。「ローハイド」では若きクリント・イーストウッドが出演し、牛追いの男っぽい男たちの描写が日本人の目に焼き付いた。
ポピュラーのヒット曲はこの時代は映画のテーマ曲が、映画の価値観が2乗、3乗もしてくれて、大ヒット。
「太陽がいっぱい」「死ぬほど愛して」
(映画「刑事」の主題歌)、「白銀は招くよ」
(オーストリアの伝説のスキーヤー、トニー・
ザイラー主演の映画「白銀は招くよ」の主題歌)。
陽気(?)なメキシカン・グループのトリオ・ロ
ス・パンチョスが来日、何故かしてか人気になり「ある恋の物語」がヒット。
ニール・セダカの「恋の片道切符」、ミーナの「月影のナポリ」(イタリアの女性歌手、ミーナのデビュー曲となる)などがヒットした。
で、ここで紹介するための前置きが長くなったが、「ムスターファ」というトルコか中近東に原曲があるのだろうが、真相は未だ解明できていない曲が、この年に大ヒットした。
ラジオから流れてくる「ムスターファ」は何種類もあり、番組によってノミネートされるアーティストも異なる、といった具合。
頭ひとつリードしたのがロス・エスパーニュラスにケマル・ラシッド&オトマンズで、他は今では探し出せない。
曲調はベリーダンスの音楽に通じる民俗的なメロディーとリズム。
で、日本ではこの曲を、今は亡き坂本九がダニー飯田とパラダイス・キングを従えて唄い、この作品が人気を独占した(海外から入ってきた曲以上に)。
この時代、アメリカ、ヨーロッパから、中近東からも、様々なリズムに踊り、例えばマンボ、ジルバ、タンゴ、フラメンコ、サルサ、などなど(例えばリンボー・ダンス)が入って来た。
そんな流れに紛れ込んで「ムスターファ」も入ってきたのだろうか。
そういえば「アラビアン・ナイト」の物語がラジオから流れていた。"アラジンと魔法のランプ"は人気のあった曲。
「ムスターファ」の言語はアラビア語(エジプト方言)、フランス語、イタリア語の3ヶ国語が入り混じった多国籍なもの。
歌われる国によって、その一部が各国の言語に差し替えられている。
「ムスターファ」の邦題は「悲しき60才」(歌詞:青島幸男)
♬ヤー ムスターファ
ヤー ムスターファ
遠い昔のトルコの国の悲しい恋の物語
純情可憐な優しい男
それは主人公ムスターファ
(途中は略します)
※ムスターファが見初めた彼女が奴隷の身で、彼にはお金ないのでどうにもならないが、金さえあればと、一念発起でマネービルで大金持ちになった。
急いで彼女を尋ねたら、今や悲しき60才。
夢に敗れたムスターファ、泣くに泣かれぬ
ムスターファ。時が経つのを忘れて、
お金をもうけたが、年をとってしまった……
という歌詞の内容。
この時代は、何か目新しいモノがあったら
売れたし、売れればいい。
売れたモノ勝ちの風潮があったんだろう。
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