アベベ・ビキラの栄光と挫折の劇的な短い一生を考える。アマチュアリズムであるべきオリンピックのスポーツとは?

「走るのは祖国のため」―、ローマ・オリンピック、そして東京オリンピックでマラソン二連覇を成したエチオピアのアベベ・ビキラ。
 
日本人に強烈な印象を与えたアベベであったが、彼の人生は「裸足の哲人」がたどった栄光と悲劇の生涯でもあった。
 
アフリカの黒人選手としての初の金メダリスト。ローマから4年後の東京オリンピックでも再び栄光を手にした。「この男は人間離れしている…」と、皆が驚いた。
 
が、この成功の帳面合わせをするような"悲劇"がそこから始まった。
 
今では語られることもなくなったが、アベベが金メダルを獲得した25年前、当時のイタリアの与党をしていたファシスト党がローマ帝国の再興をもくろみ、軍を押し進めた国がエチオピアだった。
そのローマで、エチオピアの皇帝ハイレ・セラシェ直属の親衛隊の名もない兵士アベベが、金メダルも取ったのだ。
 
金メダルを手にしたアベベはその日から流星のごとく仰ぎ見られ、天空はるかな頂点を去るその日まで、光芒あざやかに駆け抜けることを、運命づけられた。
 
多くの人はアベベが温厚な人柄と思っていたが、それは見た目とマスコミの評価にすぎず、彼自身は脱植民地と孤立の気運に沸く新時代のアフリカのシンボルにまつりあげられ、成り上がりの贅沢三昧の待遇でバラ色の人生でもあった。
 
アベベが悲劇的な死を遂げた1973年、アフリカが抱いた夢はもろくもくずれ、エチオピアは飢餓、革命、内戦、破壊、国そのものが存亡の危機に立たされる。
 
アベベの真実の姿は表に出ることは少ない。
 
アベベはメキシコ・オリンピックでは途中、走れなくなる。その後の彼は、無残にも死ぬまで車椅子で歩くことも出来ず、忘れ去られていく。
 
アベベは実は酒が好きで、毎日、毎晩中毒のようになっていた。皇帝からは豪華な住居を与えられる。最高級のベンツも送られた。女性に関しても派手なスキャンダルがあったが、それも表に出ないように封じられていた。
 
やっかみからアベベが、エチオピアの下級層の者から、かなりの攻撃的な"仕返しや嫌がらせ"を受けたことがあった。こちらもフタがされた。
 
東京オリンピックからメキシコ・オリンピックへ。
彼はまるで走ることに対して、今迄のような努力や訓練はやれない男になってしまっていた。
 
死因に関しても実に謎に包まれている。
 
アベベと走り、3位になった円谷選手が東京オリンピック後に自殺した。
 
なにがなんでも勝たねばならないと思うから、勝つこともあろうし、自虐的になることもあろう。
そんな栄光や挫折は、人を時に悲しい運命に引きずり込むことがある。
 
人間の幸福とは?
結婚、家族、子供、平和、人並みの生活、ではないのか?
 
オリンピックがエンターテイメントになっている今、選手が脚光を浴びることがスポーツに参加することより優先される。
各スポーツ協会、マスコミ、そして様々な利益が生まれて、選手にも還元される。スポンサーも喜び、スポーツ組織も喜ぶ。一目、健全そうに感じるアスリートたちも、知らぬうちに「私様々」になっていく。
かつて脚光を浴びた選手らのスキャンダルが、表に出ることがある。
隠し切れないものは、あからさまになる。
アスリートが恋をして、SEXをして、不倫をして何故悪い?当然人間である以上、セクハラだってあってオカシクない。
そんなクサいものにフタをしていたオリンピックが、本来の主旨や指針をそっちのけで利権に埋まれた"隠れカジノ"となった時、例えるなら、あの円谷選手の自殺の意味が、今の日本人に理解できなくなってくる。それはオリンピック貴族やら、元オリンピック選手が政治家になったり、スポーツ協会のボスになったりして、それがあたり前という気持ちが彼らや取り巻き連中の心にあるのなら、オリンピックがアベベ選手のように人を狂わせて、政治的なしがらみでスポーツの大儀をも飲み込んでしまっているとんでもない虚構の世界である。

Oimachi Act./おい街アクト

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