若いっていい!! エルトン・ジョンの「クロコダイル・ロック」が全米一位に輝いた
1973年。エルトン・ジョンが26才の年だ。エルトン・ジョンも若かった。
この曲が大ヒットした頃、東京にいた。
もちろん僕も若かった。
東京の中野のケーキ屋とコーヒー・ショップのかけもちをして働いていた。
ケーキ屋にもコーヒー・ショップにも全国の地方から東京に"登ってきた"若者が沢山いて、彼らは音楽学校に通ったり、バイトをしたり、劇団に所属していたり、と北九州では会うことの出来ないタイプの"彼らが"僕に元気をくれたし、僕も彼らに多分、元気を、優しさを与えていたと思う。
北九州に帰ったら、「小倉まで皆で車で遊びに行くから」と。余程、小倉出身の僕が住む小倉がいい街と思ってくれたのだろう。
いやいや、来たらガックリするヨ‼と内心は困ったな~、と。
この「クロコダイル・ロック」にイメージが重なる女の子。青森県の三沢市から上京。劇団「ひまわり」に所属していた三沢高校を中退して東京の高校に通っていた18才の女の子から求愛された。
彼女も若いし、僕も若い。恋が始まり、そして始まりと同じように恋に決別をした。
「このままだと、自分を見送ってくれた友だちに会わせる顔がない」と、彼女は辛そうに心が揺れ動いていた。
僕も東京で彼女を見つけるために来たのではない。人生をかける仕事を見つけるために、東京に来たのだから…。
別れるのは辛かったが、彼女の将来を尊重するべきだとカッコつけた。
今だに彼女のあの時の生き様を忘れないし、東京イコール、彼女と良い仲間との素晴らしき空間、と思っている。
エルトン・ジョンよりも、この「クロコダイル・ロック」と、次の「ダニエル」。
この2曲が僕の想い出、東京での素晴らしく日々を彩っている。
九州の男の子って、東京でモテるの?(僕がモテるんじゃなくて)小倉弁が面白い。僕がギターを弾いてビートルズを唄ったから、この東京では女の子から告白されることが多かった。それは僕がいずれ小倉に帰るから、思い出を作りたかったんでしょう?というのが、僕の見解。僕なんて知らぬ土地で自由で怖いもの知らず。イキイキとしていたから、きっとそれが良かったんだろう。
僕にとってのエルトン・ジョンは「クロコダイル・ロック」「ダニエル」これがベストなんだ。
彼女から「小倉に明日、行くから」とある日、連絡があった。
「何も用意出来てない…、どうしよう」僕が東京に行くべきなのだ。
そうして東京へと再び行くことのなった…。
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