音楽や文化を考えた時、人は冷たいと感じることもある
もんた&ブラザーズの「ダンシング・オールナイト」は嫌(イヤ)というほどヒットした。
もう聴きたくないと言うほどのアクの強い声で、つまりダンス・ミュージックとしてのヒットだと思えた。
アクの強い声で曲が売れると後がない。
これがポップスの世界のセオリーだ。
このヒットは、メジャーになる以前のもんた賴命(よしのり)を知る人にとっては、マイナスのイメージになったと思われる。
ロックやポップスの世界でよくある話だ。
ディスコ・ミュージックが流行したからといって、音楽の路線をそちらに変えてしまうと、その後がよろしくない。
ビージーズがその例だ。
「ダンシング・オールナイト」以前の"もんた賴命"は、シンガーソング・ライターであった。
1975年、福岡で彼のライヴがあった。
この時代、岡林信康がギター一本で、ライブをやっていた時代。
もんた賴命もギター一本でのライヴであった。
その時はデビュー・アルバムになる「ホライゾン」のキャンペーンを兼ねての来福で、個性の強いミュージシャンとして彼を支持する女性ファンが、今後の彼に期待する向きが強かった。
それから「ダンシング・オールナイト」でもんた&ブラザーズとして、テレビの音楽番組に出まくった末、腹一杯になった感ありの彼はメジャーから遠ざかる結果になった。
このデビュー・アルバム「ホライゾン」がレコードとして長い間、僕の部屋に眠っていた。そして消えてしまった。
CD化はない、と思っていたが、限定発売でタワー・レコードが手掛け今、手元にもある。
何十年が経ったのだろうか?計算もしたくない位に時は流れた。
ミュージシャンの人生は華やかでもあるが、過酷だ。
とても過酷な色合いが濃い。
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