エンターテイメントのアメリカらしいシンガー。ゲイリー・ルイスとプレイボーイズ

アメリカのショー・ビジネスを60年代仕切っていたのは、あのフランク・シナトラ一家だ。
 
この流れを汲んだジェリー・ルイスの息子、ゲイリー・ルイスが1965年にリード・ヴォーカルをとり、ザ・プレイボーイズを引っ提げてデビューした。
 
いきなり全米1位。「THIS DIAMOND RING」。邦題は「恋のダイヤモンド・リング」。
 
続いて「君のハートは僕のもの」「あの娘のスタイル」「ひとりぼっちの涙」「グリーン・グラス」「涙のクラウン」と、立て続けに上位に食い込んで、ヒットを放った。
 
エンターテイメント色の強かったテレビでも活躍し、アメリカでは人気を博した。
 
"親の七光"的なスターでもあったから、やがては音楽界から去ることになる。
 
フランク・シナトラの娘、ナンシー・シナトラも、まるで日本の政界のように、親から子へと"力"により、その地位を得る二代目が多い時代だった。
 
ゲイリー・ルイスはその後、映画やTVの世界での活動となる。
 
ここにゲイリー・ルイス&ザ・プレイボーイズのベスト盤のCDがある。
ゲイリー・ルイスの曲。
「恋のダイヤモンド・リング」などは、アル・クーパー、トーマス・レスリー、レオン・ラッセルらが作った曲。
 
プロデューサーに"実力""コネの力"があれば、誰でもメジャーになる世界が、強くその時代はあった。
 
録音は、演奏と歌が別々にテイクされているものを合わせているようだ。それがあまりにもはっきりとわかる録音というのも、60年代らしい。
 
とにもかく、全米NO.1に輝いた「恋のダイヤモンド・リング」を聴いてみよう。

Oimachi Act./おい街アクト

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