毛深さは男の魅力だったのに…
鹿児島県の奄美から貨物船に忍び込み、日本本土に密航して相撲界に入った朝潮太郎は「朝潮」の3代目だ。
初土俵は1948年(昭和23年)。
出身は鹿児島県徳之島。
密航であるからして、相撲界に入ってしばらくは神戸市(当時は兵庫県武庫郡)と出身地を隠していた。
本名の米川で初土俵を飾る。
占領軍からの返還運動にも参加し、奄美返還後に、出身地が鹿児島県奄美大島と変わる。
朝潮の特徴は、なんと言っても毛深さ。
昭和30年代には、"一に朝潮、二に長嶋、三に三島由紀夫"と、胸毛の濃い有名人を謳うフレーズがあったくらいだ。
大阪場所に強く、優勝が5回のうち4回が大阪。"大阪太郎"と呼ばれた。
南の生まれは、夏場所と九州場所が強い!?
「100年に一度の巨体」と評され、"胸毛の濃い力士は横綱になれない"というジンクスも破った。
立ち合いのブツカリで、相手力士が胸毛で顔を切るというのは凄い話で、この毛深さが「好き‼」という女性が多かったのだ。
現在の"男性脱毛"が、きっと天国の朝潮太郎は信じられない(?)。
1956年(昭和31年)に現役引退。
高砂部屋を継承し、先代から引き継いだ高見山、富士櫻、小錦、水戸泉らを育てた。
1988年に脳溢血で死去。
58歳だった。
1995年7月に、出身地の徳之島に朝潮太郎の銅像が建てられた。
2006年12月に孫弟子にあたる横綱・朝青龍が銅像の前で土俵入りを行った。
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