「メリー・ジェーン」でチーク・ダンスを踊り、そしてカラオケで唄うのは立派なオヤジだった。
日本のGSが無残にもズタズタになり、ロックは日本には根付かないのだ。
これからのロックはアート性がないとダメ。テクニックがないとダメ。作詞・作曲が出来ないとダメ。黒人のようなソウルフルなヴォーカルでないとダメ。
とにかくダメ出しを日本国民は、ROCKに関してはくらったのだ。
そうしてフォークが台頭し、やがてアイドルの幕開けとなった。
ロックで食べていけないバンドは解散。歌謡曲に路線変更したり、転職したり、ジャズに生きる道を見い出したり、60年代後半からは、アイドルやフォークの時代となった。
僕も音楽でメシは喰えないと断念し、料理の世界に活路を見い出すことにした。
この頃、ディスコがブームとなり、いわゆる"ハコ・バンド"が喰っていくために生き残った。
ディスコで生演奏をするバンドを"ハコ・バンド"と呼び、プロではあるが、踊れる曲をやる、不本意な"存在"であると見られていた。
それでもバンドを演る若者は次々と育っていた。
日本のいわゆるGSとは違ったタイプのバンドが残っていったのも事実。
1971年に発売された、つのだ☆ひろとスペース・バンドの「メリー・ジェーン」は、ディスコのチーク・ダンス時に後々まで使われ、延べ200万枚も売れたロング・セラー・ヒット曲。
有線の洋楽チャンネルで流れ、無国籍っぽいソウル・バラードとしての異臭を放っていた。
漫画家つのだ・じろうの弟つのだ・ひろ。
本来はジャズ・ドラマーであったが、シングル盤を出した。B面は「アイ・ラブ・ユー」
つのだひろの声が黒人っぽかったのと、日本人好みの暗いバラードだったのが、功をなしたのだろう。
気になるシングル盤で、買ったのはいいが、友人に知られるのが恥かしい。そんなシングル盤だった。
東京にいた時、僕の友人がこっそりと買っていた。
実は、僕もこっそりと買った一人だった。
「メリー・ジョーン」はダンス・ホール、ディスコのチーク・タイムの曲として活躍した。
そしてストリップ劇場のBGとしても、そう、活躍したのだ。
それでは、「メリー・ジェーン」を。
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