アナログ時代の懐かしき想い出を
昔、僕の家には「ガマの油」があった。
どこかにやって来た"ガマの油売り"から、父親が買ったのだろう。
傷薬に効く軟膏で、ワセリンなどを成分とした"クスリ"があった。
正月になると家に"獅子舞"が入って来て、正月気分を味わうことが出来た。
小倉北区金田の現・金田公園の場所に舞台が設置され、旅役者の寸劇を見ることも出来た。
起業祭に行くとサーカスがやって来ていた。あの"木下サーカス"だったのを覚えている。
起業祭に沢山の出店があって"ろくろ首"やら、「可哀想なのは、この子でござい…」というセリフで小人が出て来たり、口から火を吹く大道芸人もいた。
昭和の時代には、未だ旅芸人やらが活躍する場所がありお、人が集まってくる祭ごとやらが、あちらこちらであった。
出店ではオヤジさんの啖呵売(タンカイバイ)があり、今でいう姓名判断や、"寅さん"顔負けの"物売り"のプロが客の足を引きとめていた。
猿まわしは人気があったし、瀬戸物、反物、玩具、刃物、いろいろな物が売られていた。
銭亀、ヒヨコ、カルメ焼き、飴細工、綿菓子、などは子供に人気があった。
過去のテレビを支えたのも、そういった旅芸人の人々であったり、お笑い芸人にしてもしかり。
ここに「旅芸人のいた風景」という本がある。
したたかで、たくましく生きた「旅芸人」でひとくくりした人々の「時代」「姿」が甦ってくる。
沖縄から"マムシの秘薬"を売りに来ていたオヤジさんから、ヒザのスリ傷を見つけられ、実験台にされ、ヒザにマムシの薬をべったり塗られた記憶がある。
確かにあの"マムシ"は効いたのだった。
0コメント