日本の映画もそろそろ昭和の芸人を主人公にした映画を作って欲しい!
「カラオケで楽しんでいる」―。これを文化と言っていいのかは解からないが、とても健康的であるのだろう。
カラオケが大衆化されている時代は、一般の人(シロウト)と芸能人との隔たりが狭くなる。
これによって芸能人を夢見る一般の人の熱が冷めることになるだろうし、それは"芸能文化"のポピュラーリズム化に繋がる。
つまりとんでもない芸能人が少なくなる、という結果をも生むことになる。
芸能界の健全化を促すものが、カラオケの永いブームの根底にある、とも言える。
1960年代から1980年代にかけての日本の芸能界、音楽界。
それは強制的なパワーを大衆に放ってはいたが、そこにはそれなりに底なし沼のような世界がうごめいていた。
"使い捨て"のマスコミ。"オゴリ"の特権意識。酒、バクチ、クスリ、…。
さて、ラジオから流れてくるロック、テレビでは和製ロックが行き詰って、演歌、ムード歌謡が台頭した60年代後半。、
大人になったらROCKから離れていく。そしてパチンコ屋のBGやスナックとかで演歌の味を知っていく。
時代は確実に変わっていた1970年前後。
ムード歌謡というジャンルの唄がブームを押し寄せていた。
前川清の唄った「長崎は今日も雨だった」。
美川憲一の「柳ヶ瀬ブルース」。
水原弘の「君こそわが命」。
「思案橋ブルース」は中井昭、高橋勝とオロラティーノ。
秋庭豊とアローナイツの「献身」。
今日は1968年にヒットした「あなたのブルース」を。
矢吹健。19歳の時のデビュー曲。
1980年以降はアンダーグラウンドな活動になる。
ミスティーボイスと呼ばれたハスキーな、男性ヴォーカル(森進一も同じような声だった)。
作詞・作曲は藤本卓也。
レコード大賞の新人賞受賞。
69歳で孤独死。アルコール依存症。糖尿病。華やかな時代があった。
その頃の"声"を聴いてみよう。
ご冥福をお祈りいたします。
0コメント