弘田三枝子の回想①「MICO・ジャズ・ライヴ・イン・北九州」のレコード製作から25年が経った。

1997年のライヴ録音。小倉のライヴ・ハウス「ビッグ・バンド」で。
 
25年も経ったのだ。
 
この25年間に何があったのだろう。
 
まず弘田三枝子さんが他界した。
 
ベーシストとして参加した井島正雄さんが亡くなった。
 
弘田さんのマネージャーであった、平野氏も亡くなった。
 
僕は出版社「オーパス」を倒産させた。
 
情報誌の出版にウンザリしていた僕は、3つの選択肢があった。
 
まず有機野菜を使った弁当を作ることを仕事にするか?
 
推命学をやるべきで、占術家としての道を歩むか?
 
残るひとつは、やはり出版の仕事。
こちらは「おいらの街」と「くるめ」と「ふくおか」のトータルの編集長になって欲しい、という誘いがあった。
 
有機野菜の弁当は、リーマンショックで不景気になり、高い弁当は売れない、と。
 
出版の話は、スンナリと行くわけがないと思っていたので、半信半疑でコトの成り行き任せにした。
結果は大きな"ワナ"があり、詐欺まがいの事件に発展する方向性へと行きかけたが、自分の無力さで泣き寝入りをした。
 
自分自身には"毒消し"が必要なくらいに、心身共に殺気がはらんでいたのが一番、僕は怖かった。殺気は数人に向けられていた…。
毒消しで殺気を薄めるまで、北九州を離れることにした。
 
弘田三枝子のライヴ・レコードを作った時も、殺気らしきものはあったが…。(続く)
 
今日はアニマルズの「朝日のあたる家」をどうぞ。

Oimachi Act./おい街アクト

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