弘田三枝子の回想② 弘田三枝子は確かに実力が子供の頃からあった。

弘田三枝子を初めてラジオから流れる「子供じゃないの」で知った。
 
僕が小学6年生の時だ。原曲はヘレン・シャピロの「子供じゃないの」をすでに聴いていたが、「外人に負けていないな、弘田三枝子は」と思った。
歌唱力とパンチはケタ外れ。
 
中1の時は「ヴァケーション」を。原曲のコニー・フランシス以上に上手に歌っている。
 
続いて2年後、イタリアのミーナが歌った「砂に消えた涙」。これも弘田三枝子は上回っていた。
 
そして日本で最初に作られたPOPSと言われる「渚のうわさ」。
これは弘田三枝子以上に歌える人は確かにいなかった。
 
都はるみの「アンコ~」のフレーズは弘田三枝子の「ウェ〜・わたし〜は!!」から真似ていると。これは弘田三枝子側から、直接聞いた話。
 
そうして「人形の家」へ。
 
これを機に、弘田三枝子は人生をリセットさせたと思われる。
多くのファンも、ポップス歌手の弘田三枝子から遠のいていったと思われる。
 
日本のPOPS、ROCKに限界が見えたということだ。
 
今日は弘田三枝子の「渚のうわさ」を。

Oimachi Act./おい街アクト

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