弘田三枝子の回想・最終章 あの体験は異次元であったのかも
弘田三枝子の音楽人生の中で、この「MICO・ジャズ・ライヴ・イン・北九州」の時の頃が、ピークであり、頂点であったように思えて仕方がない。
そこ迄、弘田さんが力を振り絞ることになったのは、僕の情熱や北九州のミュージシャンの皆様が異様ともいえるほどの熱意をムキ出しにしてくれたからこそで、人が人を動かし、人が人にエネルギーを与える波動が、力強く渦巻いていた。
確かにあの時、北九州の天と地では…。
これは戦いでもあった。闘争でもあった。愛情でもあった。エネルギーの交差でもあった。
今もライヴ盤を聴く度に、何かが動きだす。人間に天性の攻撃性というものが備わっていて、それが音楽を通して発することが出来るのであれば、今迄になかったものが生まれる。
この体験を僕はしたような…。
ビーチ・ボーイズで「ガッド・オンリー・ノウズ(神のみぞ知る)」を。
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