弘田三枝子の回想(番外篇)
「MICO・ジャズ・ライヴ・イン・北九州」は、弘田三枝子の再生(復活)を願う活動であった。同時に僕としては、"なんたって北九州"。地元のジャズ・メンのレベルの高さを、全国のジャズを愛する人達にぜひとも認識して欲しい、という気持ちが強くあった。僕の気持ちを理解してくれたジャズ・メンは弘田三枝子さんと僕を心から応援してくれたのだ。
それをプロデューサーである立場として、貫くことが自分の役割りであると肝に命じていた。皆が成功するようにと。
頑固な僕、頑固なミュージシャン、頑固なマネージャー。
その中で、弘田三枝子さんも、かなり神経を尖らせていたし、殺気も高まっていったのだ。
僕とマネージャーが互いに不満を持っている時は、回りに"殺気"としてそれが伝わったらしく、弘田三枝子さんは僕らの2人の間に「炎が煮えたぎっている。どうしたの?」と、冗談っぽく気遣いをしてくれた。
扱いやすいミュージシャンではなく、一筋縄ではいかないミュージシャンが「ここ」にいたからこそ、素晴らしライヴ盤が生まれたのだ。
そして弘田三枝子さんが、これ程までにこのアルバムに懸命になってくれたことに、心から感謝している。
僕も2度とやりたくないと思った。それ程、思いやりと殺気と和みと男っ気と慈愛の波がうごめいている真剣勝負の長い時間が流れていた。
このアルバム制作が終わって、田部俊彦さんと岩崎大輔さんが、ソロで自主制作のアルバムを出した。
気持ちは痛いほど理解できた。
本当に皆様、疲れていらした。
一生に一度だけ競争馬が使う脅威的な足があると言われる。その驚くべき力を皆が、あのアルバムに出し切ったのだ。
今日はバッハの管弦楽組曲の「G線上のアリア」をトレヴァー・ピノックとイングリッシュ・コンサートで聴いて下さい。
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