令和食文化問答『昭和の喫茶店・小倉篇』 暗い店内はカップルに好まれた。BGMはクラシック。

「音楽喫茶」という言葉があった。今は死語。
 
音楽もジャンルはさま様。この北九州には「音楽」聞かせる、売りモノにする店が地方にしては多かった。
 
今回はクラシック。
喫茶店の店名は覚えやすい、解かりやすい、そしてイメージが良い、これが鉄則であった。
昔あった喫茶店の店名は、「黄昏(たそがれ)」。「美国(みくに)」「田園」「月光」「コロンビア」「ブラジル」「折紅(おりべに)」「ポプラ」「ONO(オー・エヌ・オー)」「街角(まちかど)」「ピノキオ」「スイス」「銀影(ぎんえい)」「風月」などなど。何十年経っても忘れにくい店名だ。
 
で、今回は「田園」。平和通りにあった喫茶店。
1階はやや明るい、2階、3階は店内が暗い。
「田園」はベートーヴェンの交響曲のタイトル。
もちろんクラシックがBGMで流れている。
3階は特に暗かった、という印象が残っている。
 
来店していたのは、カップルがとても多かった。
カップルは長居する。2時間なんてザラ。
 
告白やら、口説きのための喫茶店だったのだろう。
学生服では、高校生は入れないのが、その当時の常識。
高校生の男の子は坊主頭の時代。
 
長髪が許されていた10代というと、浪人生、大学生、高校生。
女子高校生を連れて、高専生がその当時、私服を着て、18才未満お断りの喫茶店やらパチンコ屋に堂々と出入り出来た。
 
「田園」のメニュー。カレーが人気があった。この時代、ちょっとした食事なら喫茶店で。
カレーライス、焼メシ、ハム・ライス(焼メシと味は変わらないが、何故かあった)、スパゲッティー、オム・ライス。これだけメニューが揃っていれば、大丈夫の時代。
 
当時、喫茶店のアルバイトの自給が70円~80円の時代。
コーヒーは100円。カレーが180円。
だから喫茶店は儲けた時代だ。
時給が今、900円前後!?
だったらカフェの一品が1000円以上でないと経営は厳しい。だからセルフ・サービスなのだ。

Oimachi Act./おい街アクト

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