年越しそば
1人暮らしの大晦日は、家族で食べる年越しそばは無理だから、カップ麺の蕎麦で、一応、年越しそばもどきですます。
昔、東京にいた若かりし頃、立ち食い蕎麦屋で大晦日の年越しそばを食べたのを思い出す。
阿佐ヶ谷だたな。
小倉の街中の蕎麦屋が、昭和の40年あたりまでは、拘りの蕎麦屋があったのだ。
パチンコ屋あたりの蕎麦屋も敷居が高く、価格も高めだが味も良かった。
今は大衆食堂化され、残念。
蕎麦湯をちゃんと出す蕎麦屋は少なくなり、蕎麦湯を知らない人も多くなってきた。
まるでベートーヴェンのピアノ協奏曲「皇帝」の第二楽章の寂しさ。威勢の良い、蕎麦屋は小倉にはなくなった。
威勢の良い店に行くと、元気をもらえるが、今は威勢の良い店が消えた。
コロナごときに、悔しいな!
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