ビートルズやストーンズらのビート・ブームは、革命的であった

1960年前半から巻き起こった「ブリティッシュ・インヴェイジョン」を実体験した世代は、革命のある意味恐ろしさを知っている。
それまでの、一流の価値観が消え去るわけだ。
メジャーだったものがマイナー以下になってしまう。
一夜にして会社が倒産して、何もかもを失うことと等しい。
アメリカのスターの落ちぶれた姿は、容赦ない人気家業の不安定さを証明した。
ここで取り上げるジョン・レイトンもしかり。
彼はイギリス人。
ハリウッド映画「大脱出」にめ出演した20代の前途あるスターであった。
「霧の中のジョニー」「霧の中のロンリー・シティ」が1961年、62年、イギリスでヒット。

俳優、歌手として未来は明るいはずだった。
1970年には活動は消滅していた。
1990年代から、徐々に復活していく。
2000年代になり、なんとか、、。アメリカを代表したエルビス・プレスリーさえ、約10年間は下火になっていた。
ニール・セダカ、ポール・アンカらは、作曲家としての手腕があったので、生き残っていったが。
歌うだけでは食えない時代が、その後も続いている。
作曲能力が、日本でも問われる時代になった。
ジンガーソング・ライターであれば、日本でもルックスが問われない時代があった。
日本の1960年代の歌の世界は惨め極まりなかった。グループ・サウンドのヒット曲を手掛けたのは、筒美京平らの歌謡作曲家達。アシッド・ロックの波が押し寄せてくると、グループ・サウンドはお手上げ。
筒美京平らも、もうそんな世界には加担しない。
グループ・サウンドは歌謡路線に変わるしかなかった。
日本にロックの育つ土壌があるのか? ないが正しい答えだろう。ルースターズの大江慎也曰く「日本人は、取り入れて加工するのが上手いから、その力が土壌と言われれば・・」。 
クラブ・ミュージックが台頭すると、それ一辺倒になった感あり。
ダンスがブームになると、ロックよりもダンス。少子化が進むとカルチャーも規模が小さく小さくなる。大人? さあ。

Oimachi Act./おい街アクト

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