昭和30年代の子供の食べ物は?

小倉市を支えた今はなき小倉市民会館。
その側に小倉市民プール。
小倉図書館。
まだ大手町には旧造兵局(舎)の建物があり、夜は真っ暗で一人歩きは怖い時代。
今では考えられない大手町。
小倉市民プールに20円、30円払って5、6時間遊んだら、小倉玉屋の6時のお知らせ曲「新世界」がかかる。
田町辺りまで来るとパン屋があり、パンの耳を20円で新聞紙一杯に包んでもらう。
空きっ腹にパンの耳は美味かった。
そのパン屋さんでマトモなパンを買ったことは一度もない。
パンの耳を食べながら、原町の家まで帰る。コーラは一本が30円で、酒屋でしか売っていなかった。
駄菓子屋のカキ氷のミルクなしが5円から10円。
カルピスは濃縮しかない。
カキ氷の氷だけを30円出したらボール一杯に。
家にある濃縮カルピスで、又はリボンシトロンの濃縮ジュースを。
ラムネが10円でアップルが5円。
キャンディーも5円。
雪印のバニラカップは10円。
駄菓子屋が家の近所に2、3軒はあるし、八百屋、酒屋、肉屋と。寿のパン屋が美味しいが高めの値段で新たに開店。
まだ文具店が,必ず学校の近くに何軒かある。
米屋、燃料店、たばこ屋、沢山の店で沢山の人が働き、沢山の客が顔見知りになり、つまり子供と大人の関係は町内単位で存在して、子供は家庭、学校、そして町内と、コミュニケーションの場がしっかりとあった。
そして駄菓子屋からタバコ屋までの大人との会話があり、人を社会を学ぶ機会があった。

Oimachi Act./おい街アクト

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