Bフラットまでの高音がでていた中井昭。「思案橋ブルース」の大ヒットは、彼の美声にあった
1968年4月25日に、日本コロムビアから発売された。日本のGSが崩壊した時、日本人の心に響いたのは、ムード歌謡と言われた歌謡曲。
長崎市のキャバレー「十二番館」の専属バンドで、この「思案橋ブルース」はすでに評判になっていた持ち歌。メンバーの川原弘の作詞・作曲による作品。
同じ頃、ライバル店の「銀馬車」では、内山田洋とクール・ファイブが。
コロラティーノが一足先にデビュー。中井昭・高橋勝とコロラティーノが正式名称。
中井昭は下関出身。下関西校卒業。
ご当地ソングで日本のあちらこちらが歌われた。長崎は、古くは「長崎の鐘」が。長崎は異国情緒な街として知られていた。思案橋は遊廓の通称でもあった橋。この橋は撤去されていたが。
長崎は北九州から身近な観光地だった。大分の別府より、情緒があったし、原爆を投下された地としても物悲しい。
長崎の人たちは、観光地としての自覚が強かったのか、旅行者に対して優しさと親切心に溢れていた。
中井昭が仕事で事故にあい、歌を目指すことにした地が長崎であった事が、意味深い気がする。
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