場所は言わない 第1回

「ブレンドコーヒーを前に、静寂を味わう」

【取材・文・撮影=鶴田弥生】

 北九州市内の特別な場所について書いておきたい。どことは言わないけれど。

 今日はハズレだった。

 10席ほどのカウンター席。座るのは3人の女性たち。70代後半だろう。顔見知りだけど別々に来店したんだと思う。それぞれ席が離れている。

 「そのマニキュア、何色なの?」

 「グリーンよ、深いグリーン」

 「あら、モカかなと思った。素敵ね」

 「足は?」

 「足は自分じゃ切りもできない」

 「ご主人にしてもらうの?」

 「ううん、井筒屋でしてもらうの」

 「そういえば最近シルクのストッキングってないわよね」

 「博多まで修理に行ってたわよね。5mmも空いたら高かった」

 「そうそう。バックスキンもね。懐かしいわよね」

 

 チラリと口紅の色を見た。巻いているブランドスカーフにも目が行った。全く地味ではない。本人にも季節にも馴染んでいる。これは女として上級者だと認めるしかない。爪に色をのせていない私は、裸の気分。

 初めて来た時は、時計の針の音かと思った。少しすると、水道から落ちる水滴の音だと知った。店内に流れる音楽はない。水滴の音がその空間で一番大きな音として耳に伝わる。ポトンポトンと、上質なヒーリングを受けているようだ。

 カウンターの中に、痩せて腰の曲がった“おかあさん”と呼びたくなる女性が1人。ブレンドを頼んで、あまりにも心地良い静けさに自然と目を閉じる。火にかけたケトルの湯が沸くコロコロした音が聞こえてくる。音と匂いで見なくても工程がわかる。


 私の前にカップが置かれる。夢心地から覚めて目を開ける。サイフォンのフラスコからコーヒーが注がれる。40年以上続けてきた仕事。そのコーヒーを提供する手は、痩せて血管がはっきり見える。軽食もない。コーヒーだけで街や人の変化を見てきた。昔の話をしだすとキリがない。


 後にわかったのだけど、ここはサイフォンの器具でネルドリップするという面白い淹れ方をする。私は、使用したネルの布を浸したボウルに規則正しく落ちる水滴の音が聞きたいと今日も店の扉を開けた。すると冒頭の会話。私は二杯目まで粘った。なのに話は終わりそうにない。あの静けさはやってこない。ハズレだ。天気みたいなもので自分じゃどうしようもできない。だけれども、である。ハズレの日も悪くないと思えるマダムたちの昼下がりを覗くことができた。

Oimachi Act./おい街アクト

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