小倉に何故、競馬場が出来たのか?
小倉に何故、競馬場が出来たのかは、北九州の地に何故、競馬場があるのか?が答の原点になる。
今の北方の小倉競馬場は、小倉の三萩野、その前は戸畑にあった競馬場(乗馬練習場)がルーツになり、三度目の移転で小倉北方に来た。(八幡西区の本城にも競馬場があったことを知る人は少ないが)競馬場は昔は、軍隊の乗馬練習、または訓練のための軍事施設である、と言うと解りやすい。
若松にある若松乗馬倶楽部(今は、若松ホース・クラブ)も、北九州が明治時代以降に軍隊の乗馬練習、訓練のために必要な軍事施設に力を入れていた流れを汲む、と解釈出来る。
戦後は国営として、小倉競馬場は親しまれる。
それは北九州に馬主になれる金持ちがいかに多かったかを物語る。
石炭、鉄、そして今は想像できないが、軍事産業で明治以降、栄えた街、北九州。
競馬は軍事の為の乗馬訓練施設をルーツとする。
戦前のオリンピックで日本が乗馬競技で優秀な成績をおさめていたのも、軍隊の強い国であったことを象徴している。
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