北九州の「大門」という地名についての話
小倉北区大門。「大門」とは遊郭の入り口を表す言葉であった。歴史を遡ると、旧若松市にあった旧土井町は、京都の祇園、東京の吉原と並ぶ、日本の三大遊廓のひとつだった。
勿論、遊廓は旧小倉市にも、旧八幡市にもあった。北九州はその昔、鉄、石炭、軍事産業、戦後は進駐軍、また朝鮮戦争に出撃するアメリカ兵が多く滞在した街だけに、旧小倉市には遊廓があちらこちらに点在した。
旧小倉市の今の馬借あたりには小倉一の遊廓があり、旧中島という町名だった。市庁舎のある城内にも、今は使わない言葉、トルコ風呂のある温泉セーター「勝山閣(しょうざんかく)」があり、旧田川旅館(ニュー田川ホテルで知られる)とライバルであったと言われている。
「勝山閣」の経営者は当時の東京在住の政治家で、芸能界に顔がきいたので、小倉で歌謡ショーの興業をうち、「勝山閣」に宿泊させていた。が、田川旅館におされて閉鎖する。
この敷地は旧小倉市が買い取る。市庁舎の建つ前は、そこが勝山公園のルーツ。ジェットコースターがあり、デート・コースであり、男女の出逢いの場でもあった。造兵舍のあった大手町に近いため、戦時中は軍隊、敗戦後は進駐軍に占拠され、それがために
室町、船頭町、中島、船場、古船場は遊廓で潤った町。
室町、船頭町、中島、船場、古船場は遊廓で潤った町。
そんな処の入口が大門と言う名称。格式のある遊廓の入り口を表す言葉で、その地名が今に残っている。
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