「十三間道路」と国道を呼んだ時代の話
今の国道3号線。小倉の原町に幼きころから住んだ僕は、その道路を十三間(じゅうさんげん)道路の名称で覚えていた。道路幅が十三間あったから庶民は、そう呼んだのだろう。まだキレイに舗装されていない十三間道路は子供の僕の目には、とても幅広い車道と思えた。南小倉駅の手前になるあたりの十三間道路には踏み切りがあった。汽車が通る前には、遮断機が降りる。上りと下り、それぞれに車10台前後の列が出来た。車は三輪の半トンの小型トラック、1トンの丸ハンドルの中型トラック、タクシーは日野自動車だったか、ダイハツの小さなミゼット、原動機付き自転車、スクーター、ジープな
ど。バスにはバスガイドが乗っていて切符を売ったり、踏み切りでは降りて、運転手を誘導する。バスの形は前が突き出た(ボンネットのある)オンボロバス。この時代、氷一貫が夏は家に配達される。醤油は一升瓶があり、なくなると計り売りで買う。味噌も、人造バター(マーガリン)も計り売りの時代だった。十三間道路の側にあった市場が木町市場。その頃は賑いを見せていた。やがて、スーパー「とみやま」が木町市場の奥にあたる場所に出来た。安い、安いと、皆が喜んでいた。「とみやま」の店長は北九州大学の卒業生という話しが話題になる、そんなのんびりとした時代があった。今は木町市場もスーパー「とみやま」も、跡形がない。踏み切りの上に高
架道路が作られ、十三間道路の名も忘れられていった。
架道路が作られ、十三間道路の名も忘れられていった。
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