凄かった!ルースターズ。大江慎也はカリスマだ

1980年、ザ・ルースターズがデビューした。 
 とりわけ大江慎也との想い出が沢山あるので、書き留めておきたい。  
「おいらの街」の編集部(小倉南区城野の時代)に、彼は何度か遊びに来た。真冬、ストーブをガンガンたいていた部屋に入るなり、「アツ~イ!、暑くないん?」そんな一声に、ハッキリ、さっぱりした男だなと。僕も彼に自分をさらけ出せると思った。編集室がどんなものか興味があったのだろう。当時はマンションの一室で7、8人が何やら編集の作業をしているごみ溜めのような編集部。コーヒーを淹れて出した。一時間くらいレコードをかけながら、音楽の話が弾んだ。彼が若松に帰るので、車で送った。カー・ステレオで、当時、僕が気に入っていた「スクーターズ」のカセットを聞かせて、「このバンド、ビートルズのデビュー時より相当にカッコいいやろ?」。この時の話しを彼は、よく知り合いに話していたようで、大江が言っていた、と2、3人から聞かされた。 
 彼が中学時代に組んだバンド「薔薇族」を知っていた。その時にすでにマネージャーがいて、ライブのポスターをマネージャーの女性から頼まれた。グループ名は知っていたが、演奏は聴いていなかった為に、「薔薇族」のサウンドとはかけ離れたポスターを作ってしまった失敗談がある。
デビューが決まりそうな時期に、竪町にあったヤマハ小倉ショップのホールで、ルースターズのメンバー全員と初めて会った。この日はポプコン開催日。黒いスーツが似合う。デビュー前から、御幸が指していた。ビートルズの若かりし姿と重なって、凄い人気者になると確信した。
大江が編集部に来たのは、その後だった。
もっともルースターズの写真を載せた松田楽器店LMの広告が、「おいらの街」に掲載されていたので、なんとなくは知った気にはなっていたが。 
「ティオペペ」と言うパスタ屋に行った時、マスターから「人気が出そうな、いいバンドおる?」と尋ねられたことがある。「おるよ、ルースターズ。これは間違いない」と答えた。横に座っていた女性が、「本当です?間違いないですか?」と聞かれた。その女性が花田君の御姉さんとは。
「私、花田の姉です」と自己紹介された。
縁があるとは、こんなことを言うんだ。
NHK北九州放送局のFM番組 「夕べのひととき」に月いち出演していたある日、ゲストにルースターズが呼ばれていた。これはデビューしてから間もない時。この日の僕の選曲が、ガーランド・ジェフリーズの「R・O・C・K」、カーズの「?」、ジョン・レノンのか「?」だった。ルースターズ好み(?)の曲をたまたま選んでいたので、フィル・スペクターについて話が盛り上がった。 
ルースターズがデビューして、最初のライブがヤマハ小倉ショップの1階であった。「おいらの街」主催。 2度目の主催は、2階のヤマハ小倉ショップホールで。この日、火がついた。300人はいた。開場前にファンが押しかけて、押さえるのに必死だった。(会場入口には僕を含めて3人のスタッフ) ルースターズが人気グループになり、その後の活躍は周知の通り。
ルースターズのデビュー・アルバムを「出来た!」と編集部に持ってきたのは、当時のマネージャー、M氏。たまたまその時、僕は送られてきた新譜レコードを聴きまくっていた。浜田省吾の「ホーム・バウンド」を聴いて、このアルバムは凄い。浜田省吾もこれで人気が間違いなく出る、と出来映えに感心していた時。マネージャーのM氏に、これからの浜田省吾の飛躍をまず語ったのを覚えている。    
それから話しはルースターズへ。勿論、ルースターズのデビュー・アルバムを聴きながら。「ルースターズを海外で公演させた方が良い」と伝えた記憶がある。 話が前後しているが、ルースターズは海外で通用する。イギリスかアメリカでライブをして欲しかった。それを実現させるには、当時の僕は力不足だったことが、とても悔しい。
ルースターズの音源を聴くと、まだ活き活きしているではないか。

Oimachi Act./おい街アクト

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