息子と共に苦しんだことがある
僕には二人の息子がいる。長男の誕生から三日後、長男がウイルスに病んでしまった。急きょ旧若松市立病院に、産婦人科から移された。産婦人科でウイルスに感染した。ウイルスなんて考えられない時代で、どこからどうして感染したのかは解らずじまいだ。長男は脊髄にウイルスが侵入して高熱に侵されて、2週間、集中治療室であらゆる治療が施された。僕は毎日、若松市立病院に行き、主治医に病状の変化を伺いに行った。所謂、髄膜炎で最悪、死亡、または後遺症が残ると主治医に聞かされた時は悲しくて、自分の命と引き換えに助かって欲しいと念じた。前年に僕はPTSDにある事故でなっていたので生きることに苦しんでいた。そこにさらなる追い打ちがかかり、一睡もできなかった。2週間目の日の朝、いつもの若松市立病院に行く。主治医から、回復しましたよ、と聞かされ涙が止まらない安心感と2週間一睡もせずに祈ったことが、息子と共に苦しんだことがよかったのかとも思えてきたりした。長男は元気に目を開けて僕を見た。父ちゃん!と言いたげに見てくれた。家の亡き父母、姉が泣いて喜んでくれた。息子を抱っこ出来たのは1ヶ月後だった。それまで母乳を毎朝、若松市立病院に届けた。医者の叔父さんが、大病院でお産はするべきなんよ、と諭してくれた。次男は若松市立病院にて産まれた。お産は大きな病院でしてください。なにがあるか解らないから。この長男と共に苦しかった2週間、ひたすらジーン・クラークの「ヒア・ザ・ウィンド」を僕は聴いて夜中を過ごした。優しい曲はしあわせを呼び込むのかも知れない。聞いてみてください。
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