【BYRDS=BY+RDS 今でもバーズが好きですが…。Vol.4】クロスビーの脱退の真相は…
ジーン・クラーク脱退後、4人のバーズがエネルギッシュに再結成される(1996年)。
ロジャー・マッギンとクロスビーがチームとして、またライバルとして主要なソング・ライターになる。マッギンは「ミスター・スペースマン」「霧の5次元」を書く。クロスビーは「ホワッツ・ハプニング⁈⁈」と、彼のヒッピーとしての夢「ルネッサンス・フェア」を書く。クリス・ヒルマンも「ロックン・ロ~ル・スター」をマッギンとの共作で作り、ジーン・クラークに代わって、バーズのハーモニーを維持していく。
アルバム「霧の5次元」「昨日より若く」は、デビッド・クロスビーとロジャー・マッギン、クリス・ヒルマンの競作ともいえる。
マッギンは「マイ・バック・ペイジス」でディランの作品へと回帰するが、これがマッギンの最も好きな曲となる。歌詞の内容は、過ぎ去ったニュースであることがどんな感じか。傷ついてはいるが、より賢くなり、もはや周囲の期待に答える必要のない自由さを得ている。ディランの言葉でその時の心境を鋭く捉えている。
「霧の5次元」「昨日より若く」を発表したバーズのロジャー・マッギンとクリス・ヒルマンは、ついにデビッド・クロスビーに解雇通達をする。
クロスビーは彼と同じく気が短いバッファロー・スプリングフィールドのスティーブン・スティルスと親しくなり、1967年6月のモンタレー・ポップフェスティバルで、バーズとスプリングフィールドの両方に出演したことから、マッギンは、バーズには二股の忠誠心はないと、彼を切ることにしたと伝えられる。
1998年のインタビューで、クロスビーは自分自身にも非があったことを認めている。
ロジャー・マッギンも「クロスビーの貢献がいかに大きかったか」が、その時は解かっていなかったと認めている。
あまりにも短期間でアメリカで最高のバンドのひとつになった故に、諸刃の剣がバーズにかかったのだろう。
こうしてバーズの初期到達点とも言うべき「名うてのバード兄弟」が5thアルバムとして発売された。このアルバムはビートルズの「サージャント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」に対抗した、アメリカからの返答盤となる。
デビッド・クロスビーの劇的な脱退劇をはさんで制作されたこのアルバムから、いわゆるコンセプトかつ芸術性を重視した”アート”の香り漂うアルバムに意義を見い出す流れが、ロック界で始まることになる。
モンタレイ・フェスティヴァルでのクロスビーの発言は強烈だった。要約すると「政治家がLSDを経験すると戦争をやめることができる」に始まり、「”ミスター・タンブリン・マン”なんか演っている場合じゃない。ケネディは国家権力によって殺された。これが僕らの国、アメリカで起こっている現実だ」と、ステージから突然しゃべり、「レディ・フレンド」の演奏に入った。
これにはマッギンもヒルマンも、クロスビーはもうバーズで演りたくないのだ、と伝わってきたと言う。日頃から、バーズのデモテープを勝手に持ち出し、スプリングフィールドのところに行って聞かせたりしたことにもあきれていた2人は、クロスビーを切るしかなかったのだ。
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