交響曲「田園」と映画「影の軍隊」について
ベートーヴェンの交響曲の中で唯一、標題が記せられたのが交響曲第六番「田園」。初演の際に使用されたヴァイオリンのパート譜に、べートーヴェンの手によって「シンフォニア・パストレッラ あるいは田園での生活の思い出。絵画描写というより感情の表出」と書かれているといわれる。
感情の表現でということを強調する意図の表れで、ベートーヴェンがより高次元での”純音楽”を自然の音楽的描写の世界観に見い出し、求めた作品。第5楽章の標題は、「嵐の後の喜びと感謝」と記せられている。やはり第5楽章が聴きどころであり、指揮者の聴かせどころでもある。
名盤はズバリ、1988年5月シカゴ・オーケストラホールで録音された、ショルティ指揮/シカゴ交響楽団(DECCA盤)だ。
歌劇の上手い指揮者でないと、この第6番はどうも味が足りない。歌劇が上手に振れない指揮者は、巨匠とまではいわれないのがクラシック界の通評でもある。再生スピーカーはタンノン、KEFあたりがやはり素晴らしい。
ところで映画のテーマ・ミュージックではないが、映画の中でこの「田園の第5楽章」を出演者が聴くシーンがある。その出演者とはフランス映画「影の軍隊」の中に登場する、レジスタンスの知らざれらる大物だ。神のように喜び、感謝する自然界のメロディーと、レジスタンスの悲壮な戦いのギャップが、映画を効果的に印象がける。全篇を通してモノトーンの重苦しいナチス・ドイツ占領下のパリで、裏切りによる悲劇、死と直面しながらも戦わざるを得ない、組織のためには非情なる殺しもやらなければならないナチス・ドイツ占領下での人間模様。リアリティなレジスタンスの世界を、「サムライ」などのフィルムノワールの映画作家、ジャン=ピエール・メルヴィルが1969年に発表した「影の軍隊」。
名優リノ・ヴァンチェラにシモーヌ・シニュレがレジスタンスの群像をして描かれる秀作。戦争映画は娯楽映画であってはいけない。観たら気分が重くなるくらいでないと映画としての役割りは果たしていない。コロナウィルスでこれほど人間が弱いことを知ったなら、戦争なんぞが起こると耐えられる訳がない。福島の原発事件にしろ、他人ごとでなない。
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