北九州のタウン情報誌「おいらの街」は北九州に住む人のために創刊した。基本は”ミニコミ”誌。だから他誌の動きには鈍感さが必要だった。
6月20日で
「九州ウォーカー」、
「東京ウォーカー」、
「横浜ウォーカー」が
休刊になるという知らせが入って来た。
順番に消えていく。
成るべくしてなった。
「九州ウォーカー」が創刊された時、
シティ情報「ふくおか」の
危機感が伝わってきた。
北九州の「おいらの街」創刊者である私としては、
「九州ウォーカー」と「おいらの街」は別物という考えがあったので、
ライバル意識は全くなかった。
シティ情報「ふくおか」は
全九州制覇を当初から揚げていたので、
それはあせっただろう。
「おいらの街」を買う人は、
「九州ウォーカー」か「ふくおか」の
どちらかをその都度選んで買っている人がほとんどだった。
が、若手のスタッフが
「おいらの街」に入ってくるごとに
「負けたくない‼」という気持ちが強まっていき、
増ページ、情報掲載の拡大、カラーページをもっと増やそう、
雑誌の大きさをもっと大きくと、
コストを上げていく方向に行ってしまった。
当時、若いスタッフが多く、
社員も30人近くなると、
社長、創刊者の押さえがきかなくなり、
「おいらの街」の”初心”は消え失せていった。
団塊の世代は本作りを
”活動”と考えて発行していたが、
やがて時代が変わり、
華々しい流れの中に
「おいらの街」は
終息されていくことになった。
0コメント