「ジョン・レノン」というライブ・ハウスがその昔、折尾の路地裏で脚光を浴びていた

その「ジョン・レノン」は
スナックの店舗を
改造、改装して手造りで店を開店させた。

店名は「ジョン・レノン」好きのスタッフが命名した。

昭和52年の秋に開店日には、
当時、北九州一の実力と言われていた
ブルース・バンド「国士無双」が
ライブを行い、その音が折尾駅まで響き渡り、警察が来店する事態となった。

保守的な折尾の街に、
プロを目指す「とべない飛行船」「夢来人(むらびと)」、
そして下関からもミュージシャンが訪れ、学生の街、折尾に音楽の拠点が生まれたのだ。

イーグルスの「ホテル・カリフォルニア」が大ヒットし、
外タレが北九州、福岡にやって来ていた時代。
この時代、ジョン・レノンが音楽活動を休止し、日本の軽井沢に小野ヨーコと現れていた。
「ジョン・レノン」の店名を聞きつけ
ジョン・レノンが来てくれたらと
淡い期待も込めて付けられた店名。

結論から言うと、
ジョン・レノンは福岡には来たらしいが、
折尾には来なかった。
この店を機に
音楽集団「折尾フォーク村」が生まれ、
ギターを片手にした若者が
折尾駅の改札口を多く出入りした。

店は一年半で閉店することになったが、
スタッフはそれぞれが自分の道を歩みだし、
「活動が終わった」の名言を残した。

その後、小倉の街に
「ウエスト・コースト」
「イン・アンド・アウト」と
ライブ・ハウスがオープン。

ザ・ルースターズもデビューした。
筆者も「ジョン・レノン」に関わった一人で、その後「おいらの街」は月刊誌としてスタートした。
古井戸。豊島だづみのライブが記憶に鮮明に残っている。

Oimachi Act./おい街アクト

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