「男はつらいよ」は渥美清さんの人柄と山田洋次監督の初心貫徹の魂で作られていたのだ

「男はつらいよ」はテレビ・ドラマとして1968年から26回放送され、
松竹映画として第一作が1969年に公開された。

九州ロケが多く、
特に大分県は積極的に
映画制作の協力をしていた。

ロケ取材に3回、
筆者が行った先は別府、鹿児島、直方。

渥美清さんから2回目で声をかけられた。
「どう、忙しい?」。

鹿児島市内の電車の中での撮影シーンで
話を沢山させてもらった。
ロケが終わるとすぐに
床に就くという話を聞いていたが、
この頃から体調は余り良くはなかったようだ。
「映画のロケがない時は古びた温泉に行って、のんびり過ごすのが好きで…」と
プライベートなことまで話してくれた。
とにかく優しい人という印象が強かった。

山田洋次監督には積極的に質問した。
「寅さんは僕から見ると、とても強い人に見えるのですが…」という質問に、
山田監督はじっくりと考えて、
「いや、寅さんは弱くてダメな男なんですよ」と切り返されたのを覚えている。

 「男はつらいよ」の寅さんを続けるために、二代目寅さんは?という話が松竹で持ち上がったようで、候補に挙がっていたのは武田鉄矢だったという。
しかし山田監督と武田さんでは?
「難しい」という結論に至った。

山田監督も寅さん以外の映画を撮りたいという希望もあり終わることになった。

渥美清さんと親しく話をさせてもらって、
僕も寅さんのファンになり
「男はつらいよ」を観に行くのが楽しみだった。
渥美清さん、当時はありがとうございました。天国で元気にしてますか。

Oimachi Act./おい街アクト

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