バーズの災難でもあり、成功でもあったカントリーロックの名盤「ロデオの恋人」は、ロックファンには聞き逃せない問題作でもある
カントリーとロックを融合させた
歴史に輝く名盤「ロデオの恋人」は、
1968年に製作、発表された。
ロジャー・マッギンの
次回製作予定の野心的構想も、
グラム・パーソンズが説得して
「ロデオの恋人」へと展開が変わる。
オリジナル・メンバーは
ロジャー・マッギンとクリス・ヒルマンの2人。
アルバム製作に参加した
ドラマーはケビン・ケリー、
完璧なギター・テクニックで
アコースティック・ギター、
エレキギターの天才と言われた
クラレンス・ホワイト。
そして大富豪の息子であり、
やがてドラッグと酒による
悲劇的な生涯を終える
グラム・パーソンズ。
クリス・ヒルマンは
バーズへの貢献度が高い。
このアルバムに参加したメンバーは、
クリス・ヒルマン繋がりの
ミュージシャンばかりである。
新しいバーズとして
テネシー州ナッシュビルで
カントリー・ロックの録音は、
反ロックミュージックのメッカという土地柄の中で行われ、
バーズの歴史の中でも最も短く、
奇妙な物語が始まっていた。
カントリー・ロックの出発点がここにあり、
あのイーグルスのルーツがここにある。
「グラム・パーソンズは最初はとても熱心でヤル気満々で」と
クリス・ヒルマンも当時を語る。
一方でバーズの知名度を最大限に利用して、
結果かき乱すことにもなる。
ローリング・ストーンズの
キース・リチャードに会うため
バーズに近づいた。
バーズのアフリカ公演出発当日、
グループを脱退。
その理由は、
キース・リチャードと
一緒にいたかったから、と言われる。
この頃の話をロジャー・マッギンは、
グラム・パーソンズに
振り回され過ぎて、
あまり多くを語りたがらない。
保守的な空間で生まれた
カントリー・ロックに対する
アメリカ西部での批判は想像はたやすい。
またアフリカ公演に行った
ロジャー・マッギンとクリス・ヒルマンは
人種差別問題に役立てば、
という思惑でアフリカへと飛ぶ。
しかし、現実はとんでもない状況で、
多大な損失をこうむり、
公演を切り上げて帰国。
「ロデオの恋人」にまつわる
知られざる”事件”は表には出なかったが、
脱退したグラム・パーソンズが
自らのカントリー・ロック・バンドを結成し、
そこにクリス・ヒルマンも
バーズを脱退して加入することになる。
こうしてロジャー・マッギンは
ギター名手のクラレンス・ホワイト、
名ドラマーのシーン・パーソンズ、
長いキャリアを誇るベーシストの
スキン・バッティンという
新しいメンバーで民主的で
素晴らしいライブバンド、
バーズを展開していくことになる。
このメンバー達も
実はクリス・ヒルマンの紹介で
バーズに加入したのだ。
とても怪奇でもあり、
嵐のような話が
ロジャー・マッギンに吹き荒れたのだった。
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