[BYRDS=BY+RDS] 「ロデオの恋人」の衝撃がアメリカを走り抜けた頃、新生バーズが最高のライブバンドとして評価される

カントリー・ロックの
名盤「ロデオの恋人」に関しての話。

カントリー界からは
”それは”異論の音楽と呼ばれ、
過激的な人達からは
「労働者階級の音楽(カントリー)を
馬鹿にしている」とブーイングが起きた。

一方では「アメリカの最高のバンドが敵(保守的なアメリカ人)にへつらっている」と、
ロック評論家やそれ迄の
バーズのファンからは
”裏切り”に値する酷評を浴びる。

クリス・ヒルマンは当時を振り返り語る。

「バーズを破壊した『ロデオの恋人』のトラブルは、単にバンドだけの問題ではなかった」。

「あの頃の時代全体の傾向であり、60年代は68年に大きく左へ曲がり、過激になった」と。

「ビートルズと共にやってきた”無邪気さ”が失われてしまい、今にもアナキズムに陥りそうだった。キング牧師、ケネディの暗殺、ベトナム戦争はエスカレートし・・・」。

70年代になるとイーグルスを筆頭とした
アウトロー・カントリーの台頭、
80年代のルーツロック現象と
オルタナティブカントリーブームが、
バーズのナッシュビルでの
思い切った試みに負い、
評価が上がってきた。

「バーズは、カントリーをカントリーとして演奏することで、素朴なカントリーがいかに
今日の音楽にパワフルな影響力をともなうか、を示した。それはバーズがロックンロールをまだ演奏できることを示すために、ドラムズにロックン・ロールを充分残している。これこそが”私がルーツに戻る”と呼ぶものである」と。

ローリングストーン誌(1968年9月28日号)で、ジョン・ランドゥは、
「ロデオの恋人」を評価した。

ロジャー・マッギンは
ボブ・ディランの歌をロックにして
フォークロックを世に出した時も

「ディランの熱狂的なファンがステージに銃を向けている気がした」と語った。

デビッド・クロスビーがステージから
過激発言をすることが嫌で仕方なかった。

グラム・パーソンズにいいように利用され、
グループの信用を失ってしまった。

「ロデオの恋人」では、
保守派カントリーからはけなされ、
ロックファンからは非難を受けた。

ようやくロジャー・マッギンに
平和が訪れたのはメンバーが
クラレンス・ホワイト、
ジーン・パーソンズ、
スキン・バッティンの
アメリカ一のライブバンドとして
評価された時代だった。

バーズの後期のアルバム
①「DR-BYRDS Mr.HYDE」

②「イージー・ライダー」

③「タイトルのないアルバム」。

これらを後期の前編としよう。

クラレンス・ホワイトは
最高のギタープレイヤーで、
後期のバーズの要となっている。

「火の車」
①に収められている。

「ナッシュビル・ウエスト」
①③に収められている。

「ジーザス・イズ・ジャスト・オールライト」
②に収められている。

「栗毛の雌馬」
③に収められている。

「霧の8マイル(ライブ版)」
③に収められている。

これらを聴くと
クラレンス・ホワイトのギターが
いかに上手く、正確で、比類のない
プレイヤーであったことが理解できる。

「霧の8マイル」のライブ版はスゴい!

(続く)

Oimachi Act./おい街アクト

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