オリジナル・メンバーが再会するも、 主導者不在のバーズはセッション・バンドでしかなかった。

後期のバーズが解散寸前の
1973年の初頭に、
リーダーのロジャー・マッギンの元へ
オリジナル・メンバーで、当時、
CSNYに在籍していた
デビット・クロスビーと、
そのマネージャー、
エリオット・ロバーツが訪れた。

D・クロスビーは
バーズの何かを奪い返したい
という気持ちがたえずあり、
バーズの主導権が欲しくて
画策していたといわれる。

こうしてバーズの
オリジナル・メンバーが集まり、
一時的にバーズの再結成が成され
アルバム「Byrds」が
リリースされることになった。

が、このアルバムは評価されなかった。

D・クロスビーの意向が反映され、
ニール・ヤングの曲が2曲収められ、
D・クロスビーの曲も2曲。

バーズらしからぬ曲が収録されていたことも
評価を下げた。
ただジーン・クラークが
意欲的に関わっていただけに、
ロジャー・マッギンと
クリス・ヒルマンもアルバム制作に
意義を見い出していた。

長い活動で疲れていた
ロジャー・マッギンに
未だ実験的な姿勢が残っていたことと、
ジーン・クラークに対する尊敬の念が
このアルバムには収められている。

アルバムの中で光っているのは
ジーン・クラークの作品
「フル・サークル」

「チェンジング・ハート」

で、D・クロスビーの思惑は外れてしまった。

こうしてオリジナル・メンバーでの
アルバム「Byrds」も結局は、
バーズ解散の意志を
ロジャー・マッギンに
強める結果となった。
ロジャー・マッギンは語る。

「その発想自体がまずかった」。
さらに
「でも、いいパーティだった。それはCSNYで成功を収めたあと、デビット・クロスビーのやりそうなことだった。彼はいつもバーズの座を欲しがっていたんだ」。

クリス・ヒルマンは
「このコレクションの中でジーン・クラークの素晴らしい2曲を聞くことができる。それはジーン・クラークの熱意の賜物で、僕やロジャー・マッギンの力ではない」と。

ジーン・クラークがいかに素晴らしい
シンガー・ソングライターであったかを語る上でも、このアルバムは外せない。

Oimachi Act./おい街アクト

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