スパイ合戦は戦国時代から始まり、今日へと続いている
その昔、
旧若松市に連歌町(れんがちょう)という場所
(住所)があった。
現中川町から本町1丁目~10丁目(正式には1・2丁目、7・8・9・10丁目)になる。
連歌(れんが)とは?
和歌が連なったもので、
一人が5、7、5、7、7、の
「5、7、5」を謳う。
次の人がその「5、7、5」に続く「7、7」を謳う遊技のようなもの。
これを5人から10人が集まって
上の句「5、7、5」と下の句「7、7」
を分けて、複数で読み、
連作形式で繋げていく。
そして50から100くらいの作が完成される。
他人の句を受けてつなげるのは難しく、
その人が面白い句、意外性の句を作ったり、隠語を入れたりすると、
次に渡された人はとても厄介になる訳で、かなり頭の良さや知識が広く深くないと続けることができない。
連歌師は異能者とも言われ、
戦国時代の武将も連歌師をかかえ、
表向きは芸人という身分で
戦国の世を駆け巡らせ、”スパイ”という役割を主から受けた裏稼業者だ。
この戦国時代には
スパイなる者が多く存在していたと思われる。
忍びの者、僧侶、巫女から商人、占術者、茶道家、大道芸人、遊女(舞妓も含む)が
間諜(かんちょう)役を任され、交渉事や主のとりまとめ、公家や武家に関わる口利き、あっせんの仕事をビジネスとした。
彼らの多くは
「源氏物語」を愛読し、
その一節をとって連歌に使うのが基本であった。
スパイ合戦が戦国時代だけのものではなく、それ以降の時代にも、
例えば第2次大戦前後には
日本には中国のスパイが、
中国には日本のスパイが活躍した。
スパイ養成学校が陸軍中野学校で、
武術、殺人、手品、からくり、毒殺、スリなどを学ばされ、
講師に本物のスリや手品師、武道家などが”技”を教え込んでいた。
つまり旧若松市に、
そんな連歌師が住む町があったのは、
若松が日本の東京以上に栄えた時代があったので、彼らを必要とするや富豪や政治家、成金、縄張りを持つ”親分”がうごめいていたと推測できる。
遊女も芸者も境はない時代で、
情報収得のために女性も、又、僧侶、占術者、芸人が裏稼業を果たすために生活し、必死に手柄をたてるために偽りの仕事人を装っていた。
現在のスパイは各国が全世界に、
あちらこちらの国に配属させている。
誰が敵か味方かが解からない闇の世界に住んでいるのだ。
日本の政治の世界にもスパイがもちろんいる。
実は僕の「おいらの街」の出版社にも、
スパイが出入りしていた。
0コメント