元祖超人気アイドル、「吉永小百合 VS 恵とも子」の時代。お色気では勝っていた のは恵とも子だ
1960年、今から60年前になる。
それから5,6年間、70年代前までとしよう。
まだテレビよりも
映画の方が日本人の娯楽としては
ステータスでもあり、大衆的でもあった。
アメリカのジェームス・ディーンの人気は衰えず、そしてフランスのアラン・ドロンが「太陽がいっぱい」で
日本の女性は「外人、カッコいい‼」と
叫んでいた時代だ。
スターとは遠い存在の”人”であるが故に、
スター(星)なのであった。
これに割って入っていたのがアメリカのスティーブ・マックイーン。
トロイ・ドナヒューあたり。
音楽界では遠いイギリスから
ビートルズの歌が届き、
日本の俳優や歌手(未だシンガーではなかった)は押されっぱなしであった。
洋楽を日本の歌詞に変えて唄う、
例えば中尾ミエ。弘田三枝子、伊藤ゆかり。男性歌手では尾藤イサオ、藤木孝、鹿内孝がテレビに出るが“あと一歩”ブレイクしない。
ポピュラー的ソングより
歌謡曲の方が俄然人気があり、
舟木一夫、三田明、西郷輝彦、守屋浩がブラウン管に映ると、テレビにかじり付く女性
が多かった。
女性が男性に“のぼせあがる”のが世の常らし
く、女性のアイドル色の強いスターは存在しなかった。
そこに現れたのが吉永小百合。
歌は下手だが「いつでも夢を」を橋幸夫と唄った。
これがレコード大賞。
まだまだ美空ひばりや村田英雄、三波春夫などの実力派歌手が幅をきかせていた。
ビートルズの勢いは止まることなく、続々とラジオからは英国からのマージ・ビートのグループが日本に上陸、若者の世界を制覇していった。
ラジオから流れる本物のロックを聴く。
45回転のシングル・レコードを買って友達の家で皆集まり、何度も何度も聴く。
テレビで生き残るのは、実力派と言われた歌謡界の歌手となってしまい、こちらは中年層から高齢者までのファンが支えていた。
そんな時代に、吉永小百合とゴッツに張り合って、「カワい~」と若い男の子たちが彼女にするなら、”あんな顔の女の子”と言われたアイドルがいた。
恵とも子(けいともこ)。
ハーフ・タレントのはしり。
アメリカ人の父をもち、スクール・メイツのメンバーの一人。
音楽番組にも出演。
月刊誌「明星(みょうじょう)」のマスコットガールに選ばれ、大ブレイクしたのだ。
吉永小百合に匹敵する人気。
タイプが違うが、2人ともに唄は上手くないのは共通。
ハスキーでパンチのある声で
「大人の匂い」、「ピンクの口紅」などをヒットさせた。
あどけないルックスであるが、
色気は吉永小百合より勝る。
映画「陽のあたる坂道」「てなもんや幽霊道中」「東京市街戦」に出演している。
が、突然、1968年に渡米して結婚、出産、そして引退。
1949年生まれだから、17~19歳の時にひと花咲かせたわけだ。
参考までに1977年に突如、CMで復帰する。
男性にとっての超人気アイドルの元祖は吉永小百合か恵とも子か?と、言えるのかもしれない。
「恵とも子みたいにカワいい女子高生がおった」。これを誰かが言うと、
「ホントか?どこの学校やった?」と
誰かが言うのであった。
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