「接吻」タイトルは重いが、異常愛に閉じこもった女性の狂った結末を描いた作品

見ず知らずの異性に一目惚れをすることがある。

これが街中で偶然逢ったり、たまたま入った店の店員に、カフェ喫茶のバーテンに…。これは日常的と言える。

そして、テレビで見たタレントや、スポーツ選手に一目惚れをすることも、今ではある。

ここで大抵の人は、いちファンとして収まる。しかし、その好きになった人に手紙を出したり、プレゼントを贈ったりをひんぱんにやる人がいる。
 
ひんぱんに行動をとると、
今度は相手は私のことに気づいたはず。

私のことをどう思っているのか?と。
本気で悩む人が現実にいる。

そんな人は街の占い店へ行き、
タロットで診て欲しい、などと言いだす。
 
芸能人やスポーツ選手は、程度の差は違っても、そんなファン、また熱心な、また異常なファンによって支えられているし、喰いっぷちにもなっているのが需要と供給のバランス。

政治家にしろ、人気で食べているようなものだ。
 
男女の割合で比較すると、女性の方が圧倒的に多い。


これは何故か?と理由は後で記す。
 


今の時代は、想いがつのるとストーカーと化しやすい傾向にあるといえる。

 
昔は男性からも、
女性からも初対面でも声をかけて「お茶しよう」なんて誘ったし、そういうことが当たり前であった。
(だから今の時代は、カップルが成立しずらく、犯罪者扱いされたくない。からSNSの世界での出会いを真剣に望んでいる人が多い)
 
前振りが長くなったが、邦画「接吻」についての話に入っていく。
 

 まず、タイトルだ。
今の若い人には使われずらい
「接吻」という単語をあえて題名にしたところが、重々しい印象を与える。
今は「チューした」や「キス」の時代。

「口づけ」「接吻」…
なんと古典的で文学的な響きだろう。
 
映画は出演者が4人と言える。
この手の少人数で映画を作ることを好んでするのは、フランスやイタリア、ポーランドの名監督が多い。
3人の出演者の映画の代表作はロマン・ポランスキーの「水の中のナイフ」。

出演者の少ない映画は脚本と俳優の演技力が
勝負。
 
一家3人を無差別惨殺した犯人を豊川悦司が。
イメージがピッタリでセリフも少ないので、適役である。

この犯人をテレビの実況中継で見て、一目惚れする女性を小池栄子が演じる。
弁護士役は仲村トオル。
 
この小池栄子演じる京子が、殺人犯の裁判の傍聴席にまで座っている。
 
殺人犯は沈黙を守って、
声を発することがない。


京子は犯人に差し入れという手段で近づいていく。やがて面会。やがて獄中結婚までたどりつく。
 
獄中結婚はアメリカ映画「終身犯」でもあった。こちらもノン・フィクション。
バート・ランカスターが獄中で小鳥の病気を治療する薬を発見し、そんな彼を恩赦させたく、応援する女性が妻となり陳情を繰り返す、といった物語だ。

ただしこの映画は「人間の尊厳」について問い正した社会派映画である。
 
「接吻」とは、次元がまるで違う。
 
京子は獄中結婚を果たすが、つかんだモノと、同時に失ってしまうモノがある。
 
この失ったモノとは、殺人犯に対して感じてしまった「幻滅」。
 
自分と同じ運命共同体とでも言うか、それが彼の中には無いということを知ったことで、「幻滅」はやがて自分に対しての「裏切り」と、京子は妄想的に思い込んでしまう。これが怒りとなる。身勝手さが京子の本性だ。誕生日にケーキを差し入れして、その時に彼を刃物で刺してしまう。
 
犯人に対する仕返しが殺人となった。
 
殺人犯は無差別殺人であった。死刑になるが
ための。
 
同時に弁護士をも殺そうとする京子。
これをどう受け止めるかが「接吻」のグレーゾーンで、映画のテーマとなる。
 
弁護士に刃物を向けることは計画的であった、と思われる。
殺人犯との”失恋”は、弁護士にも責任があると
刃物を向ける。
で、「キス」をなぜ弁護士にしたのか?
 
これは見る人がどう受け止めてもいいのだろうが、京子を異常者として考えるのが妥当だと思う。
例えば京子は、今まで男性経験がない。キッ
スの経験もない。完全なるバージンの男知らずであると。マニアックで極めつけな“恋”に恋する女。

だからストーカー的な行動へと至った。犯人に自分が裏切られたと、自己正当化した。
同時にその原因を作ったのは弁護士でもあると、あくまでも「私がこそが正しい」が自己の尊厳であった。

で、キス、接吻、どっちでもいいが、接吻としよう。

その価値観すら解かっていなかった。
やけっぱちのキス初体験が「接吻」で、
せめてこれくらいは女としてやっておいた方が、有罪になるだろうから、いつできるかわからない。

つまりコンプレックスの固まりで、せめてもの自分への救いのためにキスを体験させておきたい、という自己愛の強い女性ならではの”願望”であった、としよう。

そう考えると納得できるからだ。
 
映画はタイトル「接吻」で、観客に重々しく見せることに成功した。

自己の論理で男を愛することの“標的”にされた
殺人犯も、弁護士も、いい迷惑なこった、という映画だ。




●「接吻」(2006年日本作品)
監督/万田邦敏
出演/小池栄子、豊川悦司、仲村トオル、篠田三郎

Oimachi Act./おい街アクト

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