死に様の美学。「仁義なき戦い」シリーズのヒットに潜んでいた特攻隊、ハラキリの国民性

日本の任侠映画が70年代に一変した。

それは今尚、人気のある東映作品「仁義なき戦い」シリーズの大ヒットによるものだ。
日本の映画を変えたといっても言い過ぎにならないかもしれない。
 
それまでの時代劇、例えば黒澤明監督の「用心棒」や「椿三十郎」などや、高倉健主演の「昭和残侠伝」シリーズも然り。

最後に殺されるのは主人公の恩人や助っ人である、と相場は決まっていた。
 
よき者が散々ぶちのめされて我慢に我慢。ついには命までとられてしまう。
そんな不条理に許せない‼とばかりに、それまでに流された血、苦しさ、憎しみをラストで一気に強い主人公が3倍返しくらいをする。


観る者はそれによって気分がスカ―っとして、日頃のウサ晴らしができる。

これが映画の楽しさであった。

だから劇場内では最後に拍手が一斉に起こる。

まさしく大衆芸能=(イコール)、チャンバラ映画であり任侠映画であり、それは旅芸人の〇〇一座の世界と変わりがなかった。
 
ところが時代が映画を変えてしまったのだろうか。新しい手法を生み出す必要が映画界にあったのだろうか。

よき者が最後には勝利するという図式が崩れ去った。
 

「仁義なき戦い」シリーズは、当時の全共闘の学生に支持された。共感を呼んだのだ。

主人公がいて、敵と味方が分かれていて、憎まれ役が最後は負ける。
憎まれ役が最後まで上手に立ち回り、いい思いをする。
仁義を重んじる者ほど馬鹿をみる。
良い悪いは通用しない。ズルい奴ほどのしあがる。
出世社会の”複雑さ”を一人の主人公ではなく、その世界に生きる人間、”現象”として描いて
のが受けたのだ。

ジョン・ウェインの世界はもう嫌だ‼と、作り手も受け手も変わったのだ。
 
リアリティーさを出すために手持ちカメラを用いたり、16ミリフィルムを使ったりと、現実っぽさを強調する技法も日本人には目新しかったのだろう。
 
菅原文太はこの映画で一躍スターダムにのし上がったことは言うまでもない。が、菅原文太は実は主人公ではなく、その群像の中の一人。
そこに絡んでくる一人一人が主人公でもあった。

だからシリーズ化され、その5作品ともヒットした。
 
シリーズ5作を観ると、当時の俳優の男っぽさや荒っぽさ、個性がみなぎっている。

松方弘樹の名優ぶりが目を引く。実はシリーズ中の3作品に松方弘樹は出演している。すべての役が殺されてしまう。

その3人が、すべて異なったキャラで個性的。あっぱれ‼松方弘樹は名優なのだ。
 
このシリーズの中で特に異色の独立した映画のように作られているのが、「仁義なき戦い・広島死闘篇」。
戦後の貧しく、暗い日本を映し出している。
 
神風特攻隊、腹切り。
そんな戦時中の日本の国民性を引きづった世相の中で、身寄りのない男が仁義を通して突っ走るも、結局は利用されて自滅する。最後はピストルを口に入れて、壮絶な死に様を遂げる。
北大路欣也が血なまぐさいヤクザを熱演している。この時代の俳優は今の役者とまるで違う。
野性的というか、男っぽいという表現が似合うのか。明らかに肉食系だ。
男はケンカが強くないと失格。義理と人情が欠けた男は男ではない。弱い奴をいじめる者はクソだ。人が困っている時は助けるのが男ぞ。
いい時代でもあったし、困った時代でもあった。

舞台は広島。北九州ではこの当時、菅原文太の髪型、”文太カット”をする極道が多かったのを記憶している。

北九州では当然、大ヒットした。



●「仁義なき戦い・広島死闘篇」(1973年・東映作品)
監督/深作欣二
原作/飯干晃一
脚本/笠原和夫
出演/菅原文太、千葉真一、梶芽衣子、北大路欣也/他

Oimachi Act./おい街アクト

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